「妻はいつ帰って来るでしょうか」沈痛な面持ちで尋ねる一人の男性。心疾患や癌をかかえ自らも車椅子生活のその男性は、長年認知症の妻の介護を続け、昨年高齢者専用住宅の一室に夫婦で入居した。その時から私が二人の訪問診療を担当することになった。「こんな姿 (認知症) になっても妻が可愛くてならない。一生私が面倒をみます」と話す夫。しかし妻の体にはしばしば皮下出血が見られた。夫によるDV(ドメスティックバイオレンス)である。認知症の症状で突然大声を出す妻に対して、手を上げたり物を投げてしまうのだという。私たちが夫を責めようものなら、認知症の妻が必死に夫を守ろうとする。再三の注意にもかかわらずDVが続いたため、妻は別の高齢者施設に移されることになった。
その夜、妻は「おとうさん、おとうさん」と一晩中いざりながら夫を捜しまわり、両膝が腫れあがってしまった。夫は妻のことが心配で眠れない夜が続いた。数日後、私は夫を訪問した。夫は私に「妻は元気にしているでしょうか」「いつ帰って来るでしょうか、1週間先ですか、1カ月先ですか」と涙ながらに尋ねた。「そんなに奥さんのことを想っているのなら手をあげるなよ」私はつい本音が喉まで出かかった。このおしどり夫婦を引き離すことは、私たち関係者にとっても辛い決断だったのだ。
認知症の妻を愛しみ介護する夫とけなげに寄り添う妻、そんな老夫婦の間になぜか根を張ってしまったDV。複雑な背景が見え隠れする。在宅医としてこの問題にどう向き合っていけばよいのか、頭が重い。残り少ない二人の人生にハッピーエンドが訪れることを今は願うばかりである。
画 植田映一 尾道市向島在住
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