「入院はイヤ。最期まで家に居させてほしい」。Aさんは末期胃がんで在宅療養中の70歳代の女性。私のクリニックに訪問診療を依頼された。初めての往診の時、Aさんとともに私たちスタッフを迎えてくれたのは夫だった。不安を抱えたAさんを気遣うその暖かな眼差しがとても印象的だった。何気ない会話の中にもほのぼのとしたものを感じた。しかし、その後いつ往診に行っても彼の姿を見かけることはなく、「忙しくしているのだろう」くらいにしか、私は思っていなかった。
Aさんの容態は次第に悪化し、危篤状態に入った。それでも夫は私たちの前に姿を現さなかった。心配になった私は娘さんにそのことを尋ねてみた。思いがけない答えが返ってきた。「父も体調を崩してずっと上の階で休んでいるんです」。その日、たまたま用を足しに階下に降りてきた彼の姿を見てハッとした。1か月前とはまるで別人のよう。体はやつれ、立っているのが精いっぱい。呼吸もしんどそう。目には明らかに黄疸がみられた。
総合病院の受診予約が1週間先とのこと。私はできるだけ早く精密検査を受けるよう勧めた。夫は、次の日受診することになった。
日付が変わる頃から、Aさんの呼吸に変化が見え始めた。朝早く、夫は家族に付き添われ病院に向かった。昼前、夫に付き添っていた家族から自宅に電話が入った。診断は、皮肉にもAさんと同じ末期がん。余命1か月。そのまま入院に。この知らせを受けた5分後、Aさんは自宅で静かに息を引き取った。
その日、二人を同じ屋根の下に居させてあげるべきだった。Aさんを看取りながら、私は夫に受診を急かせたことを心から詫びた。夫はすべてを飲み込んだうえで、自らの精密検査の予約を「1週間先」としたのではなかろうか。今となって、そんな気がしてならない。
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