80歳代のおしどり夫婦。妻が脳梗塞で倒れ、寝たきりとなった。食事を摂ることができなくなり、胃ろうがつくられた。病院から介護施設に移った後も、夫は毎日、妻の許に通い続けた。
「家に連れて帰りたい」。ある日、夫は素直な気持ちを担当スタッフに打ち明けた。私のクリニックに往診の依頼が舞い込んだ。長年炭鉱で働いてきた夫。見るからに力は強そうだが、細やかな作業は向きそうにない。はたしてこの男性に妻の介護ができるだろうか。失礼ながら、それが私の夫に対する第一印象だった。「家で1か月がんばったら、また施設に戻ろうね」。そんな約束をして、訪問診療を引き受けることにした。
胃ろうからの栄養剤や薬の注入、着替え、おむつ交換・・・。夫は慣れない手つきで、懸命に妻を介護した。体の向きを変える際、勢い余って妻の頭をベッド柵にぶつけることも。妻は、そんなときも笑顔を忘れなかった。
家に帰って1年が経過した。「何か口から食べれんじゃろうか」。夫の素朴な問いかけを、歯科のスタッフがしっかりキャッチした。自宅で飲み込みの検査が行われ、専門チームによる「食べるリハビリ」が始まった。慎重に一口、二口・・・。わずかな量ではあるが、妻は「味わう」喜びをかみしめた。
半年くらい経った頃、そのリハビリは夫に引き継がれた。大きな手にスプーンを持ち、妻の口に少しずつゼリーを運ぶ。笑顔で語りかけながら、30分かけて小さなゼリーを1個。栄養としては微々たるものの、そこに込められた夫の愛情は計り知れない。
秋の夕陽がふたりを優しく照らす。ほのぼのとしたその情景にふたりの人生が映し出される。
このところ、胃ろうへの風当たりが厳しい。こんな胃ろうなら、あってもいいのではなかろうか。
画 植田映一 尾道市向島在住
〒721-0973
広島県福山市南蔵王町6丁目27番26号ニューカモメマンション102号室
TEL 084-943-7307
FAX 084-943-2277