進行がんのため車いす生活のAさんは、認知症の母親と二人で公営住宅に暮らしている。二人合わせて要介護8。
3か月前に初めて彼の住宅を訪れた時のこと。玄関に入って驚いたのは、タバコの強烈な臭い。部屋の中は霞んで先が見えない。タバコを吸わない私は30分もしないうちに頭がクラクラに。大変な患者さんを受け持ってしまったと思った。
タバコの臭いが身体に、服に染み込む。往診車の中もその臭いで満ちる。そのまま次の患者さんのお宅にはとてもあがれない。気になりつつも、Aさんの往診が少しずつ先延ばしになっていった。
その間、Aさんの病状は急速に進み、痛みは日に日に増していく。本来なら頻回に往診して鎮痛剤を調整するところを、2週間ごとの往診ではとても追いつかない。
そんなある日、彼の部屋の様子ががらっと変わっていた。タバコの臭いは多少残っているものの、空気に澱みがない。その快適さに私は内心ホッとした。が、次の瞬間、彼の口から出た言葉に思わずハッとした。「こんなに痛い思いまでして生きている意味がない。タバコを吸う気もなくなった」。よほど辛かったのだろう。
在宅医療は患者さんが主役。患者さんの生き方、考え方、そして暮らし方を、基本的に私たちが受け入れなくてはならない。私は申し訳ないことをしたと思った。
それから1週間後、気を揉みながら彼の部屋を訪れた。そこにはかつての忌わしいタバコの臭いと煙。そして、「今日は楽です」とAさんのいつもの笑顔。
タバコにはうんざりするものの、「その人らしさ」を支える在宅医療。これでいいのだと思い直すことにした。
画 植田映一 尾道市向島在住
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