在宅医療専門

「矢先症候群」そして「今でしょ!」

　「まさか自分がこんな病気に・・・」「・・・しようと思っていた矢先に」。がんなどの大病を患った時、人がふと口にする言葉である。

60歳をすぎたある男性。背中に痛みを感じ、病院を受診した。精密検査の結果、膵臓がんと診断された。しかも、末期。治療を受けても余命は半年から1年、何もしなければ3カ月ももたないだろうと宣告された。大学を卒業後、地元の有力企業に就職。結婚して3人の子どもをもうけ、マイホームを購入した。夜遅くまで仕事に没頭する毎日。定年を迎えたら夫婦で海外旅行をしようと約束していた。「さてこれから第二の人生を」と考えていた矢先に、この病気が見つかった。早速、抗がん剤との闘い。強い副作用のためこれまで大切にしてきた生活のベースが崩れてしまった。この治療で半年命が延びるくらいなら、痛みだけ取ってもらって自分の人生を全うしたい。そう考えた彼が、最終的に選んだ道は在宅医療だった。

新しい目標に向けスタートした矢先に大病を患う。その無念さは計り知れない。わが国における緩和ケアの第一人者柏木哲夫氏が、その現象を「矢先症候群」と名付けた。「こうなる前にできることをしておけばよかった」。私も、がんを患った多くの患者さんからこのことを教えられた。

昨年の流行語大賞となった「今でしょ!」も然り。学習塾に通う若い生徒よりも、人生の終盤を迎えつつある私たちにこのフレーズは強く訴えかける。先を見据えて計画を立てることも大切だが、「できることは今のうちに」。これは、在宅医療で出会った多くの患者さんからのメッセージである。中には、「親孝行、女房孝行は今しかできんよ!」と私に諭してくれる有難い患者さんも。耳が痛い。